26年卒
女性
横浜国立大学
ES情報
これまでの人生であなたが直面した課題・事象に対して、何を想い、どのように乗り越えたか、そしてそこから気付いたこと・学んだことを教えてください
〇〇サークルの引退公演において、私は約〇名のメンバーが一丸となれる環境づくりに貢献した。〇年生にとって集大成となる最後の舞台であり、メンバーの熱意は非常に高かった一方で、意見の衝突や仕事量の偏りから、チームの雰囲気が悪化する場面もあった。全員が「良い舞台をつくりたい」という気持ちを持ちながらも、人により考え方や優先順位が異なり、熱意ゆえの衝突が起きていた。責任ある立場ではなかったが、このままでは誰も満足できない舞台になってしまうと、強い焦りと悔しさを感じた。
そこで私は、部署をまたいで話し合える「本音を共有する場」の設置を提案し、実現に向けて自ら動いた。一人ひとりの声に耳を傾け、対話を重ねる中で、互いの想いや考えを理解し合う空気が少しずつ生まれていった。また、仕事内容の偏りを解消するため、進捗状況を可視化し、手が足りない部署に声をかけ合って協力する仕組みづくりも働きかけた。その結果、準備や稽古は円滑に進み、公演は大成功を収めた。観客からも「熱量が伝わる感動的な舞台だった」との声を多数いただき、仲間の努力が結実した瞬間だった。この経験から、立場に関係なく周囲を巻き込む行動力と、違いを対話でつなぐ姿勢の大切さを学んだ。多様な価値観をもつ人々と協働し、新たな価値を生み出す貴社でも、この姿勢を活かして貢献したい。
あなたをモノに例えるならなんですか?
私をモノに例えるなら、「なかなか抜けない雑草」だ。どんな場所でも根を張り、自分なりの工夫で環境に適応し、時間がかかっても結果が出るまで努力を続け、必ずやり遂げる粘り強さがある。
小学生の時に〇〇を目指しており、その夢を叶える第一歩として放送部のある中学校を受験した。しかし入部してみると、活動は週3で放送、週2で百人一首の練習という、まさかの“二刀流部活”だった。最初は「なんでかるた?」と戸惑ったが、負けず嫌いな私は火がついた。「やるからには誰よりも早く覚えてやる!」と決意し、休み時間も帰り道もお風呂の中でも、常に百人一首の冊子を持ち歩いた。語呂合わせを考えたり、自分なりの暗記法を試したりと工夫を重ね、1週間で百首を全て暗記。先輩たちも「本当に覚えたの?」と驚くほどだった。そのうち部の練習だけでは物足りなくなり、妹を巻き込んで家でも練習を重ねた。最終的には放送部員でありながら、かるた大会で入賞するまでになった。高校では弓道部に所属した。運動部経験者の同期に囲まれ、実力は最下位スタートだった。そこで、選ばれるためには倍以上の努力が必要だと考え、練習量を徹底した。朝練や部活動後の居残り練習、休日の道場通いを継続した。それでも中々的に当たらず、弓道に向いていないのではないかと心が折れそうになった。しかし諦めずに視点を変え、練習量に加えて自己分析を徹底した。練習の記録を毎日ノートにまとめ、顧問や先輩に助言を求め、技術書で理論も学んだ。フォームや集中の仕方を見直すうちに少しずつ成果が出始め、2年の冬には初の大会で皆中(全的中)を達成することができた。
このように私は、思わぬ環境にも順応し、しぶとく根を張って努力を積み重ねていく力がある。どんなに抜かれそうになっても、しつこく食らいつく。これからも雑草のように、目立たなくても着実に力を伸ばし、必要とされる場所で価値を発揮できる人間でありたい。